こんにちは。
最近の天候は本当に読めないですねー!
私の友人が言っていましたが「雨が降るとほとんど災害レベル」。
本当にそうです。
普段雷を何とも思わない私でも、昨夜の稲光、そしてごく近所に落ちたと思われる瞬間の地響きには肝が冷えました。
佐賀のほうでは冠水と同時に流出した油で稲作の被害が出ているようですが、天災と言えど恨めしくなってしまいますね。
これ以上の被害がでないことを祈るばかりです(>_<)
さて、タイトルの言葉ですが、先日面談した時に同席してくださっていた関係機関の方が仰っていた言葉です。
「仏の顔も三度まで」という諺がありますが、粗末にすると罰があたるよ、という意味では神仏両方ともそうだと思われます。
なにか一つ、信じられるもの(心の拠り所的なもの)があれば人は心の平静が保てるものですが、そのうちにそのありがたみは薄れ、自分自身でコントロールできるぐらいになったんだ!と思い込むようになります。
それは間違っていないし、成長の証ではあるのですが、自分の足元(そこに至るまでのプロセス)がなにで出来ているのかを忘れ去ってしまうと、足元がまたぐらつくようになってしまいます。
それまで支えてくれていた人やその気持ちを忘れないようにしないと、ないがしろにされたら「神様だって腐る」ということですね。
悪い言葉ばかり吹き込まれたら心が澱んでしまうのも腐っていくようで嫌になりますしね。
あわせて、自分が大事にしてもらいたいならちゃんと相手も大事にする、じゃないと関係も腐っちゃうよ、という寓話の戒めのような話でした。
ちなみに私自身は無宗教な人間なので、神様を毎日拝むことはありません。が、物事の必然性や因果応報というのは実感することが多々あるので、人間では計り知れないものはあるのかなとは思っています。
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